北風と荒波の中で真鯛釣り [沖釣り]
季節外れの台風2号(国際名称:スリゲ)は25日09時に日本の南で温帯低気圧に変わりましたが、その影響で関東の太平洋側沿岸にもウネリが入り波高く、更に前線通過により南風から強い北風に変わった26日の悪天候の中、友人達と東京湾剱崎沖に真鯛釣りに行ってきました。
---気象図は tenki.jp さんから借用しました---
この時期の真鯛釣りは、産卵期の乗っ込みのために特定ポイントに魚が集まりやすくなるので、毎年恒例で仲間達と船を仕立て海に出ています。昨年はコロナ禍で初めての全国一斉の緊急事態宣言が発令されたため、同じような時期的に企画したのですが直前中止にしました。
今年もコロナ禍は収まっていませんが、まだ就業中の他メンバーはこの日に合わせて2月から休暇調整していますし、訪れる神奈川県三浦市は、まん延防止の対象外でしたので予定通りに決行しました。
ただし、これまでは前日に磯遊びや防波堤からの投げ釣りを楽しんだ後で三崎港近くの魚料理屋さんで美味しい晩飯を頂くコースでしたが、このような状況なので出船当日の早朝4時集合としました。
今回の船宿は、三浦半島の突端に位置する松輪江奈港の"せどおと丸"にお世話になります。これまでアチコチの釣り船を利用しましたが、中には棚取りを誤ったり、ハリス切れして魚を逃してしまった釣り客に暴言を吐く船長もいます。しかし、せどおと丸の船長は静かにリードして釣らせてくれるのでここは毎年恒例で利用させて頂いています。
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今回は後輩ながら釣り名人のN沼さんの車に同乗させてもらい、前夜22時頃に現地に到着しました。到着後は朝まで車中での仮泊となりますが、自分は足が伸ばせない車の中で寝るのが苦手なので簡易ソロテントを持参して寝ることにしました。
寝転ぶと頭と足がテントについてしまう小さく粗末なものですが、数時間の仮眠ですので狭さは我慢します。
寝袋に入って、一杯飲んで、いざ寝ようとしますが、北からの爆風がテントをバタバタと揺らすので、その振動とバタバタ音で殆ど眠ることができませんでした。[これが後の失敗のもとに]
早朝4時近くになると他の釣り人が乗った車が続々と集まって来ました。もう寝ていられないので早々とテントを撤収して乗船準備です。
---> 左の丸い光は、早朝4時の夜明け前に山陰に沈む直前の満月(写真中央)です。右側は駐車場の照明です。
<出港前の様子>
せどおと丸は最大定員23人の船ですが、今回は7人で仕立てましたので、スペース・デイスタンスも十分です。最も、ここの真鯛釣りはビシコマセの長いハリス仕掛けですので、乗合船のように多くの人を詰め込まれるとお祭りの可能性が多くなりので、やっぱり仕立てが良いですね。
ビシコマセ釣りはコマセを振りまきながらの釣りなので、座席によっては多少の釣果に差が出ます。このため、くじを引いて決めました。自分は右舷ミヨシ(船首)から 3/4番目です。
左隣の2/4番には、最近は道具に凝りだして長短2本の竿を持ち込んだT橋義人くんです。
右隣の4/4番目のトモ(船尾)には名人のN沼智行さんです。今回は本命の真鯛が2枚でしたが2.9kg船中の大物賞を釣り上げました。外道にメジナも釣り上げてました。
船は5時30分前には港を出ますが、北風が強いので普段は波静かな港の中でも波が立ってます。そしてフードを被っていないと顔に霜焼けができそうな寒さです。
---ポイント図はhetaturi.comさんから借用しました---
<出港してポイントに向かう>
江奈港を出た船は、房総半島に向かって走ります(矢印のポイントが剱崎沖)。剱埼灯台を過ぎた位置まで進むと一旦スローにして6時になるのを待ちます。遊漁組合の申し合わせで6時にならないとスタートできません。そして6時になると各遊漁船が一斉にポイントめがけてスタート猛ダッシュします。
前日からの爆風が吹き荒れている海なので3mくらいの波高となり、船はヨーリングとローリング(前後左右)して大きく動きます。船が波を超えるたびにバシャンバシャンと波しぶきがかかり、両手で捕まっていないと船から振り落とされそうです。とても写真を撮ることもできません。今日は自分が出た沖釣りの中でも3本の指に入る海の荒れ方です。まるで遊園地のジェットコースターの様に体が上下にジャンプして揺すられます。
太陽が出ていれば房総半島から昇る様子が見えるのですが今日は曇りで見えません。もし出ていればこんな感じです。(ポイントに急ぐ同じ松輪江奈港所属の大松丸)
---ameblo.jpさんの写真を借用しました---
<ポイントに着いて>
朝一番には魚もお腹が減っているのでポイントに着いてすぐの第一投がその日の出来を左右します。でも、その1投目ですが、コマセカゴに撒き餌のオキアミを詰め、10mと長いハリス先につけた釣り針に餌のオキアミを付けていると・・・ビューと風が一段と強くなりハリスが飛ばされて船中に引き込んだフロートブイのロープに絡みついてしまいました。
仕掛けも安くはないので、揺れる船中で何とか外す努力をしましたが、結局は仕掛けを取り替える羽目になりました。[これが2つ目の失敗]
「あ~あ~!やっつちまった!!」「一度も海に入れなかったハンドメイドの高い仕掛けなのに!」「それより早く仕掛けを取り替えなくちゃ」「寒いので手が云う事を聞いてくれない」・・・と焦っていると案の定、左のT橋義人くんが船中で朝イチのモーニングサービスをゲット。
<何とか1枚をゲット>
新しい仕掛けに取り替えて、何度目かのコマセと餌の交換をしていたら、急にハラワタをギュウと締め付けるようになり吐き気がしてきました。乗船30分前にアンパン1個を食べ、加えて酔い止め薬を飲んだのに、寝不足なのか?大揺れすぎる中で仕掛けの交換をしたせいか?
こうなったら、我慢をしないで船の外へゲロ・ゲーロしますが、朝飯はアンパン1個と薬を飲むための水分もだけでは撒き餌になりません。腹筋が痛むほど絞られましたが出すものもありません。・・・出るものが無いとわかったら逆に開き直り気分が好転して釣モードに戻りました。
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それから小一時間立ったときに、ついに来ました。波が高くて確かなアタリが取れなかったのですが、竿を立てた時にググット感覚があったのでテグスを巻くとクンクンと真鯛独特の引きがあり確信してハリスをひくと赤い魚体が見えました。やっとの1枚です。(サイズは後記を参照)
<その後は食い渋り>
10時ころになると少し北風が弱くなってきましたが、逆に魚の朝飯タイムが終わってしまいアタリは無くなり、ビシの中の撒き餌が無くなっても針がついた餌のオキアミはそのままの姿という状態になりました。
そして近いポイントに多くの集まっていた僚船も、それぞれのポイントに散っていきました。
そんな集中力が切れてきた頃に隣のT橋くんとこの日初めての道糸がお祭りになりました。私のテグス(道糸)の途中にT橋くんの針が絡んだので外してもらっている時に、私の海中に残った道糸が船のスクリューに絡みついてしまいました。
ちなみに釣り船は潮流で船が流されてしまわないように常にエンジンをかけてスクリューを回しています。ハリスであれば強く引けば切れますが、道糸はどんどん引かれて行きます。そのままでは、道糸が全部巻き取られ最後は竿を折られるので、思い切ってハサミで道糸を切りました。「今日3つ目の失敗」
「20m弱の道糸とその下に付けるコマセビシと天秤とハリスが一瞬パー」「まだ使用2回めのビシと形状記憶合金の天秤とクロロカーボンのハリスだったのに!これだけで諭吉さんが半分飛んでいく」と嘆いてしまいます。
船長からビシと天秤を借用して釣り続けましたが、既に戦意喪失した者に魚は釣れません。定刻時間に沖あがりです。7人の成果は4~0枚でした。4枚トップはベテランS藤匡昭さんで大物賞は2.9kgをN釣り上げた名人N沼智行さんでした。
自分のは36cm、640gの1枚だけでしたが、もともと数多くは望まないので良しとします。
天然真鯛は尾びれがピンと張っているのです。色も桜色で綺麗ですね。
ちょっと小ぶりの640gですが、家庭で調理して食べるにはピッタリです。以前に7kg近い大物を釣りましたが、まな板からはみ出して調理するのが大変でした。
<翌日は釣り道具の片付けで失敗>
クタクタになって家に帰っても、やることがあります。それは身に着けていた合羽や長靴や釣り道具類の塩を流すための水洗いです。
電動リールの道糸も真水に浸して塩抜きをします。でも集中力が切れているので洗い終わって巻き上げるときにこんな状況に・・・・。[本当に今日は失敗ばかりです]
今日は絡んだ糸をほどく気が無くなりましたので、翌日に回しました。
翌日には、日向ぼっこを兼ねて3時間ほどの綾取りパズルを行って何とか糸の絡まりが治りました。次回の定例行事の銚子沖の夏ヒラメ釣りを想定しながら・・・・。
<今日のおまけ:ひよこのマスターと真鯛の調理>
とある居酒屋で隣り合せ、釣り話で盛り上がり友人となったその人は、王子神谷で「串あげ"ひよこ"」という店をやっています。このマスターは昨秋の報知スポーツ新聞にカワハギ釣りで写真と記事が載るほどの腕前でして、仕事が終わった深夜に南房総まで行って釣りを行い、帰宅して仮眠後に店を開ける釣り好きな人です。そして釣行に行った翌日は、串揚げ屋さんですが釣ってきた魚料理が中心となるお店です。
先日居酒屋であった時に今回の真鯛釣予定を話したので、釣り上げた1枚の真鯛と船宿で頂いた塩蔵ワカメを持って店を訪れてみました。
東京は緊急事態宣言が発令されたので、今はテイクアウトだけで商売しているようです。
店内の一角には無造作に釣り竿や釣り道具が置かれています。ここで自分用の持ち帰り用に真鯛の半身だけを下ろして、残りの尾頭付きの半身はマスターの晩酌用にと置いてきました。
自宅に戻り、持ち帰った半身を晩酌用刺身に自分で捌きます。
半身の中骨を除いて、背身と腹身に分けて腹身は薄切りにしました。
背身は同じ切り方では面白くないので、皮を付けたまま熱湯をさっとかけて氷水で冷やす"松皮作り"にしました。食べてみると皮つきの方が美味しく感じました。加えて、いつものミックス野菜サラダとこれが今夜の自分の夕食です。
えっ!「白飯が無いのに夕食ですか?」と聞こえてきますが、ちゃんとお米を絞ったジュースを飲んでますよ! 麦で作った焼酎のウーロン茶割りも飲んでますよ。そういえば自分はもう何年も前から夕食に白米は食べていませんね。でも一向に痩せません(T_T)
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本日も訪問して頂き、ダラダラとした駄文にお付き合い頂きまして有難うございました。
ではまた、お会いしましょうね~!
新河岸川での水難事故で思うこと [日々雑感]
☆☆☆このブログ記事を書くにあたり、新河岸川で亡くなった男児と救助しようとして流されてしまった男性のご冥福を心からお祈りします。☆☆☆
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1.新河岸川での痛ましい水難事故の概要(ニュースからの情報を集約すると)
新学期が始まる前日4月7日に東京都板橋区を流れる新河岸川(しんがしがわ)で区内の小学2年の男児(7)が溺れて死亡する事故が発生しました。さらに転落した男児を救出しようと近くにいた二人の男性が川に飛び込み、50歳台の男性は自力で岸に辿り着いたが、40歳台の男性は行方不明となってしまい4日後に近くを流れる荒川で溺死状態で発見されました。
所轄の志村警察署によると、事故は7日午後4時20分ごろ、同区蓮根3丁目の新河岸川の右岸で起きました。どうやら対岸にいた男児の兄の友人がサンダルを誤って川に落としてしまい、右岸にいた男児が流れるサンダルを手元に引き寄せようと石を投げようとして川に転落したと言います。
現場は高さ約2.5~3メートルのコンクリート製の堤防があり、川岸は草むらになっているものの、ほぼ垂直に護岸が落ち込んでいる。管理する都などによると、川岸から深くなっており、事故当時の付近の水深は約2~2.5メートルだった。
--フリーイラストを使わせて頂きました--
2.このニュースを見て疑問が感じたこと
(疑問1) 都市型一級河川である新河岸川は両岸とも2メートル前後のコンクリート護岸となっているのに小学2年生の男児が護岸を超えて河川に落ちたのか?
(疑問2)救助しようとして流されてしまった男性が別の場所(荒川)で発見されたのか?
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自分はこのへんの荒川河川敷を自転車で走り回っているので地理には多少詳しいため、このような疑問が起きたのかもしれません。早速、現場を回って確認してみました。
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3.事故現場を訪れてみました。
(疑問1)以下のニュース写真をもとに現場を探してみました。
現在は献花やお菓子・飲料などが置かれていた場所がありました。
現場付近は板橋区立”にたば児童公園”の一角になっていて、他の場所が2メートル以上の護岸となっているいるのに対して、ここでは地盤が盛り土されていて70~80センチメートル程度のコンクリート護岸の上に金属製の手すりのような護岸となっていました。この程度の高さであると元気な小学生なら乗り越えてしまう可能性は十分にあります。
今は注意看板が掲げてありました。
そして川を覗くと
google地図ではこの位置です。
警察の情報では「対岸でサンダルを誤って川に落とし」とありますが、川幅が結構あって、とても両岸でやり取りできる川幅ではありません。情報が正しいとするとこの場所は男児を引き上げた場所であり、別の場所で転落してこの位置まで流されてきたと見る方が自然です。
数十メートル上流の対岸を見ると水辺に公園があります。
橋の上から川下を撮ってみます。右岸側が男児を引き上げた場所です。橋を渡った先には「舟渡水辺公園」があります。ちょうど公園内の芝生では保育園の子供達が遊んでいます。
引き上げられた対面となる公園奥を調査すると、そこは工場敷地となり金網柵で進入禁止になっていました。となると、サンダルを誤って落としたのはここの公園が有力ではないか?と感じました。では、なぜここだけに水辺公園があるのか? との疑問が湧きました。そして公園の一角でこのような看板を発見しました。
確かに昭和の高度成長期の新河岸川は、両岸の工場排水と生活排水によりメタンガスがボコボコと浮きだつ魚が住めない臭い川でした。しかし、今では排水規制により川の水が綺麗になり川辺に降りられる場所を作ったようです。
公園の水際には、救助用浮き輪BOXが取り付けてありましたが、今回の役に立つたか?はわかりません。だって足場のない柵の外側にBOXがついているのでこれでは使えないでしょうね。
私が写真を撮っていた時に、ジャンパー姿の風情から恐らく区会議員の先生だと思われる人が川に向かって写真を撮っていました。また、右岸には作業服姿の恐らく河川を管理する都の職員かと思われる人達が図面を抱えて話し合っていました。このように今日も原因究明が続いている状況です。物理的な対策の他には男児と一緒に遊んでいた子供達や事故後に集まってきた子供達に対する心のケアも必要だと感じました。(既に学校で対処していると思います)
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(疑問2) 新河岸川で流された男性が荒川で発見されたのは?
行方不明となっていた男性は、4月11日午前6時20分ごろ荒川でモータボートに乗っていた人が水面に浮かぶ男性の遺体を見つけて通報しました。男性が発見された場所は新河岸川の事故現場から6キロ下流にある岩淵水門から、荒川に合流してから上流へ2キロ遡った赤羽ゴルフ倶楽部がある河川敷の地点です。
google地図ではこの位置です。
それには新河岸川と荒川の過去の河川改修が関連してきます。元々の新河岸川は、川越から江戸に農産物を運ぶための航路として発達していました。その頃の新河岸川は現在の朝霞水門あたりで荒川に合流して荒川を下って現在の岩淵水門あたりで現在の隅田川に流れ込んで日本橋に向かっていました。
事故現場から新河岸川を約3km上流に位置する朝霞水門です。
朝霞水門から約1km下った地点にある白子川との合流点です。
2つの川の合流点を更に遡つて朝霞水門から荒川に流れ込むと言うことは無いと思います。
次は事故現場から6km下った岩淵水門に向かいます。
向かって左側が新河岸川、右側が荒川放水路、手前が隅田川です。
地図上で新河岸川と荒川が合流するのはこの2箇所だけですが、少し気になる情報がありました。それを語るには2つの川の流域の変化です。度重なる当時の荒川(現在の隅田川)の氾濫対策として蛇行していた荒川を直線化として氾濫を防ぐ河川工事が関係します。
それは大正時代から昭和初期にかけて現在の荒川ルートとなる新しい水路(放水路)を作ったことです。JR浮間舟渡駅前にある都立浮間公園の池は、蛇行していた荒川の名残りです。浮間公園の先には荒川土手があり、土手を超えると荒川河川敷にある赤羽ゴルフ倶楽部となっています。
荒川の直線化に合わせて、新河岸川は朝霞水門から浮間までを開削して元の荒川を活用して岩淵水門までつなぎ合わせました。
このような河川改修の経過を知る人は、今でも新河岸川と荒川は地下水路で繋がっているのではないか? と思っている人がいるらしいです。確かに新河岸川の合流点には浮間水再生センターという下水処理場ができ、そこと浮間公園(池)とゴルフ場内の池の配置は一直線上にあります。
そこで、浮間水再生センターの新河岸川のゲートを確認すると
新河岸川へは放水するようなゲートでした。これで、新河岸川と荒川が地下水路で結ばれているというのは都市伝説であったことがわかりました。
やはり事故現場から6キロ下流にある合流地点である岩淵水門から、荒川に渡り上げ潮の力でUターンして上流へ2キロ遡ったと想定するのが妥当だと思います。
--東京新聞の記事にその時の緊迫した状況が書かれていました--
最後に救助に向かい自力で岸に戻った50歳代の男性に東京新聞の記者が取材に対して「水で服が重くなり、自分もダメだと思った」と当時の状況を語った。
◆下に引っ張られるように体が沈んでいった
取材に応じた男性は妻と堤防沿いを散歩していたところ、川の方から「助けて」という子どもの声を聞いた。堤防の下を見ると男児ら2人が溺れていて、堤防に設置された足掛けを使い、急いで岸に下りた。
男児は岸から約2メートル先、30代ぐらいの男性はさらに川の中央付近で沈んでいくのが見えた。泳ぎに自信があり、川も一見流れがなく浅いように思えたため「これなら助けられる」と服を着たまま飛び込んだ。
しかし流れは予想以上に速く、数十秒で着ていたジーンズが水を吸って重くなった。身動きが取れなくなり護岸に取りつこうとしたが、下に引っ張られるように体が沈んでいった。
「これにつかまって!」。妻が2メートルほどの木の枝を拾って突き出し、しがみついて救助を待った。数分後、若い男性2人に引き上げられた。男性は腕や腹の軽いけがで済み「服を着て川に入ったらだめだと思った。助けが来てくれなかったら、自分も死んでいた」と振り返った。
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水難者を目撃した場合、とっさに飛び込みがちだが、専門家は「慌てて行動せず、『浮いて待て』がポイントだ」と助言している。
---今日のおまけ---
荒川河川敷で見つけた桑に実(ドドメ)です。まだ熟していません。
上流から流れてきた種が自然に任せ、今では大木になってます。
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<後書き>
緊急事態発令が決定しそうなので、友人からは畑仕事のお手伝い要請が再び停止とするメールがありました。これで畑仕事のブログ記事もネタ切れとなります。ちまんないな~~!
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本日も最後までお付き合いを頂きまして有難うございました。
ではまたね~!
友人の畑仕事のお手伝い[2021年2回目] [家庭菜園]
今日は今年2回目になる畑仕事です。今回は畑オーナーの他に、コバさんとブチくんと私の3人の応援者です。長老のK藤さんは足の負傷により欠席ですが、久しぶりの人数なので力仕事は交代しながら楽しめました。
さて今日のミッションは(1)ブロッコリーの最後の脇芽の刈り取りと土起こし(2)チンゲン菜の植え付け(3)菜花の刈り取りと土起こし(4)花ユズにキンカンの接ぎ木(4)その他除草や消毒です。
まずは、(1)ブロッコリーの最後の脇芽の刈り取りと土起こしです。
まずは、最後の脇芽を収穫したブロッコリーの株ごと掘り上げます。
株を掘り上げたあとに、肥料と土をフカフカにするため米糠を蒔いてからミニ耕運機で土を撹拌します。ブチ君も耕運機の使い方が上手になりました。
耕運機で土起こしをしたあとは平らに均して、暫くの間は土を休ませます。
次は(2)チンゲン菜の植え付けです。
暫く休ませていた土を掘り上げ畝を作ります。
青物野菜の育成畝からチンゲン菜の苗木を掘り上げます。この畝には他に小松菜とシュンギクの苗がスタンバイしています。
一株ずつチンゲン菜を植え付けます。たっぷりの水をかけて、不織布をかけます。
次に北側の畑の(3)菜花の刈り取りと土起こしです。
北側に植えたジャガイモが芽を出しました。
普通は、畝の凸山形になっている位置に苗を植えるのですが、ジャガイモは凹谷形の列に植えてあります。これは、種芋を浅植えすることで発芽を促進するのと種芋の上部位置に新しいジャガイモができるため、あとで凸の土を凹に盛り上げてやるためだそうです。
次の作業は初めての挑戦ですが、(4)花ユズにキンカンの接ぎ木をしてみました。
親木となる花ユズの枝先にナイフで斜めに切り込みを入れ、水に漬けたキンカンの10cm弱の長さの小枝を挟み込み、育成テープで固定します。初めての挑戦のため、今回は3本の小枝を接ぎ木してみました。これが上手く行ったら、次は本柚子もやるつもりです。
上手く行ったら1本の木に小振りの花柚子と大ぶりの本柚子と小さなキンカンが実るといいなぁーーと夢見ています。
あとの作業はのんびりと~日向ぼっこしながら楽しみました。
<本日のおまけ その1:畑の花は>
菜花にはミツバチが来ていました。ミツバチはイチゴの受粉にも役立っています。
チューリップは満開です。
<本日のおまけ:近所の公園の八重桜>
ここの八重桜の種類は荒川下流域に多く咲いている「関山」と言います。
コロナ禍でこんな立て札が立てられていました。
来年は花の下で宴会ができますように・・・。
<本日のおまけ:鳥よけ網>
お隣さんから「せっかく咲いたブルーベリーに鳥が止まっていたよ」とアドバイスがあったので、ホームセンターで鳥よけ網を買ってきて被せました。ついでに鳥が嫌がる釣りのテグスも横に張りました。
だって去年はせっかくなったブルーベリーの実を相当食べられてしまったのでね。
<本日のおまけ:So-Netにて久しぶりの3桁ポイント獲得>
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畑仕事のトピックスが少なかったので本日のおまけで尺を稼ぎました。
それではまた~ネ
友人の畑仕事のお手伝い[2021年初めて] [家庭菜園]
コロナ緊急事態宣言に伴い、畑オーナー[K上さん]が自粛していた畑仕事の応援要請ですが、宣言解除となったので再開しました。ただし、5人の応援メンバーが全員集まることなく、オーナーの他に人数を限定して+1名の応援者という寂しい応援です。
その分やるべき仕事が多く、久しぶりの畑仕事で一日が終わった後は、腰と尻の筋肉が痛くなりました。今日は4時起きしたうえに肉体労働だったので風呂から上がってから湿布薬をペタペタと貼り、ブログ書きもやめて早めに就寝しました。
こんな昨日のミッションを振り返ると
(1)ミニ管理機(耕運機)のエンジン点検
(2)菜花の刈り取り
(3)花柚子の剪定
(4)人参苗とブロッコリー苗への追肥
(5)ニンニクとタマネギの消毒
(6)そら豆のアブラムシ退治
(7)畝かけしていたビニールを外してネットに掛け直し
(8)野菜の収穫
などよく働きました。
畑についたら、まずは畑全体の様子を見回り確認します。
前回の応援のときに種を蒔いていたお隣の畑の小麦もだいぶ成長しました。
穴付きビニールの隙間から覗くと苗が育っています。
これは人参ですね。
これはトウモロコシかな?
これはブロッコリーかな?
ブロッコリーはまだ脇芽が食べられる畝が残っています。帰りに土産に収穫します。
露地植えのイチゴに花が付きました。
インゲンも順調に伸びています。その他にキャベツや小松菜なども植えてありました。
(1)では最初のミッションであるミニ耕運機(こまめ号)の点検です。畑オーナーによるとエンジン不調のときがあったようですが、起動ロープ一発で問題なくエンジンがかかり回転もスムーズです。燃料漏れの跡があったので、話を聞くと前々回の使用後後に燃料コックを締め忘れたとのこと。恐らくその影響で燃料がオーバーフローを起こしていたのかもしれません!? とりあえず様子見してもらうことにしました。
(2)次は菜花の刈り取りです。
右側が菜花の花で、左側が小松菜の花。菜花は刈り取りしてから畑に埋めて堆肥にします。
(3)次は花柚子の剪定です。
埼玉県の北西部にある畑ですが寒風が吹くので花柚子が一部霜焼けを起こしています。時期的にも良いので枯れた枝落としとともに、上に伸びすぎた枝や重なった枝の剪定を行いました。
自分の木であれば、もっと強く選定したかったのですが、失敗して枯らしたくなかったので、この程度で勘弁してもらいます。だいぶ風通し良くなりました。
(4)次は人参苗とブロッコリー苗などへの追肥
(5)ニンニクとタマネギの消毒
次は消毒です。
ニンニクの畝です。
こちらはタマネギの畝です。
(6)そら豆のアブラムシ退治
ソラマメの新芽にハダニが発生していたのでパーム油系の殺虫剤をかけました。
(7)畝かけしていた穴あきビニールを外してネットに掛け直し
写真を撮り忘れましたので想像してください<(_ _)>
(8)野菜の収穫
仕事の最後は収穫です。
カブですね。
長ネギ、カブ、ほうれん草ですね。
大量の脇芽ブロッコリーですね。きょうも沢山の土産を頂きましたので、近所に配りました。
<今日のおまけ>
畑では野菜の他に色々の花を植えています。それはオーナーが畑で球根を育て、自宅の前に飾って近所の人に喜ばれているからだそうです。
スイセンですね。
赤と黄色のチューリップですね。
最後の花の名前をオーナーは"すずらんスイセン"と言ってましたが、ヨーロッパ原産のスノーフレークですね。スイセンにしてもスノーフレークにしてもヒガンバナ科なので毒を持ってます。注意しなくては・・・・。
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本日も最後まで駄文にお付き合いをして頂きまして有難うございました。
それではまた。