北区赤羽で聖地巡礼? [自転車]
「聖地巡礼」という単語を耳にしませんか?
コトバンクの用語解説によると「宗教において重要な意味を持つ場所(聖地)に信者が赴くこと。転じて、映画・小説・マンガ・アニメや、バイク・鉄道・著名人などに縁の深い場所を聖地と称し、それらの愛好者が訪れることを指す」と書かれています。実際に観光地が集客のためのPR用としても良く使われています。
そんな「聖地巡礼」を身近な地元の赤羽周辺を自転車で探してみました。まずは、赤羽八幡神社です。JR赤羽駅の北口を出て線路沿いに北方向へ歩くと約10分ほど先の高台にある神社です。
JRの高架下を入って
石段を登っていくと本殿があります。
ここの神社の御朱印やお守りの印が無限大∞に似ているため、関ジャニ∞のファンにとっては聖地となっているようです。この印は2004年2月4日~2024年2月3日までの20年間は、風水で言うところの『下元八運期』となり、8は横にすると(∞・無限大)になり、この8運期間中の最もパワフルな8の象徴となるそうです。
---並んで買うつもりが無かったので赤羽八幡神社HPより借用しました---
この日も七五三や宮参りの参拝客に交じって若い女性が本殿の左側にある社務所の前で並んでいました。
そして、ここの神社の社務所の下にはJR東北・上越・北陸新幹線・埼京線のトンネルが作られていることから鉄道ファンにも聖地となっています。
八幡神社から赤羽駅方向を見ると多くの線路が見通せます。向かって左から京浜東北線、湘南新宿線、埼京線、東北北陸新幹線です。そして埼京線と新幹線は八幡神社の下から赤羽台トンネルとなりお隣の星美学園の下を通過して埼玉県の方へ続いていきます。
JR東日本の都区内では上野駅前後の新幹線用トンネルの他にはトンネルは珍しく、ましては在来線トンネルは唯一かと思います。次の北赤羽駅から赤羽台トンネルから出ていく埼京線が通過しました。
赤羽台トンネル計画が出たときには地元は大反対しました。
特に真下を通過する神社と星美学園小学校、星美学園中学校・高等学校、星美学園短期大学などを運営してきた星美学園は大反対し法廷闘争に発展しましたが、1982年(昭和57年)11月25日に和解が成立しました。星美学園の校門からは聖母マリア像が伺えます。
高台の上に建つ星美学園から赤羽駅方面に向かう道路は急な坂道となっており通称「師団坂」と呼ばれています。
というのは、この坂は、旧陸軍の近衛師団(このえしだん)と第一師団に所属した2つの工兵大隊に向かう坂道でした。工兵大隊があったのは、この坂の右側が周囲を高台に囲まれた低地があり、練兵場や火薬倉庫、被服本廟などがあったそうです。
今では、住宅地となっています。奥の高台に見える白色のビルは「東洋大学赤羽キャンパス」です。
さて、ここらで赤羽駅方向に戻ります。話は変わりますが赤羽を全国的に有名にしてくれたのが「東京都北区赤羽」という漫画を描いた『清野とおる』さんです。実家のある東京都板橋区志村から隣町の東京都北区赤羽に引越し、2003年冬から一人暮らしを始めて、赤羽で出会った独特な人達との交流をノンフェクションでシュールな漫画にしたものです。後には山田孝之さんによる実写版のテレビ番組にもなりました。
また、タレントの壇蜜さんと結婚した後も赤羽に住み続け、2020年には清野とおるさんをモチーフにしたマンホール蓋が出来ました。(北口改札を出てガード下の歩道にありました)
踏むと幸せになると書いてあるので、そ~っと足を置かせてもらいました。
マンホールの近くには、こんなポスターが貼ってあります。
ポスターは『清野とおる』さんと同じく全国的に有名なミュージシャンであり地元桐ヶ丘出身の『エレファントカシマシ』も描かれています。最近のタレントでは赤羽で育ったモデルの「みちょぱ(池田美優)」さんや隣の戸田市で育って赤羽で遊んでいた「ニコルン(藤田ニコル)」さんもいますが、やはり清野さんには敵いません。何と言っても単行本の発売日には世界的に有名なone-pieceよりも多く売れた実績があります。(赤羽地区の本屋販売での話ですけど・・)
では、東京都北区赤羽の漫画に出てきた聖地をめぐります。最初は何と言っても「自由の女神像」です。
以前は京浜東北線のホームからも見えたのですが、周りのビルが高くなり今では見えるところが少なくなりました。もともとは錦水会館というサウナが入ったビルでしたが施設の老朽化により、サウナ施設は廃業しましたがオーナーの心意気で自由の女神像は残っています。
次は、最近は飲み屋街になってしまった赤羽一番街に向かいましょう。
最近のテレビの旅番組で安くてうまい赤羽の居酒屋が取り上げられていますが、昔は本屋さんや総菜屋さんといった生活に密着した普通の商店街でした。でも大型店が出来てからは廃業する店が多くなり、一時はシャッター通りとなっていましたが、今ではすっかり飲食店ばかりです。
一番街の隣にあるシルクロードと言われるアーケード通りも、今では「千ベロ飲み屋」ばかりです。この通りの奥には、丸健水産という「おでん屋」さんがあります。ここもテレビ番組で有名になり今日も観光客が並んでいます。
もともとは「おでんの練り物屋」さんでしたが、店の前にテーブルを置いて缶ビールとワンカップ酒の立ち飲みを開始したころ、これがヒットして今では人気店になっています。私も昔は通いましたが、観光客が増えてからは地元民は少なくなりました。カップ酒の残りにおでんの汁と七味(昔は無料だったが今では+50円)を入れた汁割が有名です。
ちなみにカップ酒は、一時は23区で唯一の造り酒屋であった赤羽岩淵にあった小山酒造の「丸真正宗」です。小山酒造は既に廃業となりましたが、丸真正宗というブランドは遠い親類らしい埼玉県さいたま市の酒蔵である小山本家酒造が継承しています。
そんな横丁を抜けると、ここもテレビで有名になった「まるます屋」さんがあります。
この店も行列ができています。昔は店の前に大きなまな板を出して鯉や鰻を職人技で捌いていました。そして、職人さんは年寄が通りかかると捌いた鯉の苦玉(胆嚢)を杯に入れて「体に良いよ」と飲ませていました。
そして、その隣にはOK横丁があります。
この通りは昔からの飲み屋街でした。ここは店が開く夜になると雰囲気が変わります。
話が「聖地巡礼」から少し外れたので、巻き戻すと「清野とおる」さんの作品には少し変わった神社が出てきました。そのビルには『屋上鎮守 正一位作徳稲荷神社』と書かれた看板が掲げられています。
ここは屋上に鎮座されている神社で、参道のある屋上階から1階低い屋上階に向かってフェンス越しにお賽銭を投げ入れなくてはいけないため、“直接お参りできない神社”としてさまざまなメディアでも取り上げられ、赤羽のディープスポットとして話題となりました。
--- https://magazine.aruhi-corp.co.jp/reporter/0000-2847/より借用しました ---
以前は誰でも自由にビルの階段(参道)を6階屋上まで登って、フェンス越しにお参りが出来たのですが、ビルの老朽化により現在は入り口をふさがれています。
ビルの壁には最近貼られたお知らせがありました。
正面側からは見えないので反対側に回ると
調べてみるとこのビルは昭和5年(1930年)に先代が「鍵屋染物店」を開業する際に建てたようで、私が子供のころには「ヨーカ堂」(←現在のイトーヨーカ堂になる前)が入居しており、最近までは賃貸マンションとして利用していました。
次は多くの飲み屋さんが出てきますが、一番の渋い店の「米山」さんに向かいます。
消えかかった看板には「焼豚 米山」と書かれています。
駅からは少し歩きますが、ここにも昔ながらの路地に数軒の飲食店があります。
営業は夜だけなので暖簾が出ていませんが昭和の雰囲気がそのまま感じる店でした。聞くころによると以前は老夫婦で賄っていたのですがお婆さん具合が悪くなり、お爺さん店主だけで対応するため、自分で肉を焼くスタイルになったようです。
再び変わった店を探します。
店飾りが幽霊の人形やドクロやサタンの仮面で飾られた「赤羽霊園」という居酒屋です。ここもテレビ番組で取材を受けましたが、中に入ると色々なお化けの人形が飾ってあり、それが店主の操作で怪しい動き回るといったアトラクションが楽しめる居酒屋です。怖いもの見たさのお客さんが入っているようです。
その斜め前には「ワニダ」と書かれたスナック→タイ料理バー?があります。ここは漫画でもドラマでも、強烈な個性を放ったキャラとして紹介されているワニダさんがいた店です。
今では、どうやら駅に近いところの2号店に「ワニダ2号店」に移動したようなので、再び駅に戻り、
一番街の隣にある煙草とお菓子販売の種屋さんの横を入っていくと
ワニダ2号店がありました。相変わらず自由なワニダママの気分で店を開いているので、いつ店を開けているのかは分かりません。
この路地を入ったので、もう一軒の店を見に行きます。ワニダ2号店からすぐ近くにある「炭火焼鳥のとり市」さんです。ここも夜開店のためまだ雨戸が掛かったままです。
この店が有名なのは、非常に狭い店ですが、焼き鳥、特に白レバーと鳥スープが非常に美味しい店です。一階はめちゃめちゃ狭いカウンター5席のみ。看板によると2階に座席がありようですがキャパ不明です。
カウンターにお客さんがいると看板のかかっているドアからは入れません。立てかけてある波板の幅がほぼ客間スペースです。
「東京都北区赤羽」の漫画に出てきたスポットを巡る「聖地巡礼」は如何だったでしょうか?今回取り上げられないスポットが赤羽にはまだまだ残っていますが次の機会にします。
<本日のおまけ:赤羽伊勢屋の豆大福>
赤羽一番街にある和菓子店の「赤羽伊勢屋」さんの豆大福(130円)は甘さ控えめでボリュームがあって美味しいです。今日も店に寄りましたが、豆大福の販売時間と合わず買えずでした。
豆大福は直ぐに売れてしまいます。今並んでいる人は、草餅とみたらし団子を買う人です。
最近の豆大福の販売時間は10時30分と15時です。(時期により変わる可能性もあります)
手作りで製造量が限定されており、出来あがっても直ぐに売り切れなるのでご注意ください。今回は買うことが出来なかったので、9月に買えた時の写真をUPしました。
店頭に「包み方にご不満がある方にはお売りできません」とあったんですが、なるほど、こういうことですね。謎が解けました!ビニール袋に入れてありますがパックからは大福がはみ出しています。一緒に写した100玉と比較してみてください。
大きな豆大福の重さを計ってみました。なんと1個が280グラムもある。1個を割ってみるとこんな感じ(^ω^)・・・。
つぶしあんとこしあんが選べますが、私は小豆の姿が残るつぶしあんの豆大福派。甘さ控えめのあんこにもちもちの餅。大き目の豆のほのかな塩気がたまりません!
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本日も、街中をブラブラとチャリを押しながらの暇つぶし記事にお付き合いを頂きまして有難うございました。
じゃあ!またお会いしましょう。
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春を探しに2日連続で荒川土手をポタリングしました [自転車]
---1日目のポタリング日記---
3月に入り2日には春の嵐となり強い雨降りのあと北風が一日中吹き荒れました。
翌朝には雨も上がったので久しぶりに春を探しにロングポタリングに出かけることにしました。北風は多少弱まりましたが依然として強めに吹いていますが、かえって逆風に向かおうと荒川下流域の右岸土手を上流に向かって遡り、秋ヶ瀬公園を目指すことにしました。
板橋区を抜けると埼玉県に入り和光市->朝霞市->志木市->富士見市と続きます。
朝霞市あたりからは富士山がよく見えるので、富士山を眺めながらペダルを漕ぎます。
この辺まで来ると土手のあちこちに菜の花と思われるアブラナ科の花が自生しています。恐らく近くの畑の種が飛んできて土手で群生しているものと思われます。所々で若芽を摘んでいる人もいました。
"富士見市"はその名の通り富士山がよく見えます。ここまで来ると折返し目的橋の"羽根倉橋"が近づきました。
羽根倉橋を渡って"さいたま市"側の荒川左岸に向かいます。橋の上は北風が一段と強くなりハンドルをしっかり押さえていないとフラ付いて川に落ちそうになりますが、何とか渡りきりました。(寒さと強風で橋からみる景色を撮ることも忘れました)
橋を渡りきって"秋ヶ瀬公園"に入る前で富士山を眺めました。秋ヶ瀬公園は樹木が多いので風が遮られ貫通する道路を気持ちよく走ることができました。秋ヶ瀬公園を抜け"彩湖・道満グリーンパーク"に向かいます。ここで持参したオニギリとお茶で一休みです。彩湖は一昨年の台風で氾濫で周回道路が泥土冠水したこともあり、北側の堤防工事が継続されているため周回道路は一部進入禁止となっていました。このため周回道路を2/3回って、さいたま市から戸田市に向かいます。戸田市には競艇ファンならご存知の戸田競艇場と湖水がつながる戸田ボートコースがあります。戸田ボートコースは50年前の東京オリンピックのボートレース会場で使われたのですが今回の会場選定からは漏れました。今も学生大会が開かれていますが落選理由は分かりません。
戸田競艇場に近い荒川土手からも富士山がよく見えました。戸田市を抜けて最後の川口市に向かいます。追い風のためスイスイと川口市に入り荒川運動公園桜堤に着きました。ここには数十本のソメイヨシノが植えられており、今月末には見事な桜堤を見ることができます。
多くのソメイヨシノは、まだ蕾も見られない中で1本だけ咲いている早咲きの桜(彼岸桜)がありました。思わぬ桜見物ができたあとは、新荒川大橋を東京都北区に渡り家路に向かう約40kmのポタリングでした。
---2日目のポタリング日記---
翌日は、北風も止み少し肌寒いのですが連日で荒川ロードに向かいました。2日めは荒川河口を目指して荒川右岸を下ります。北区->足立区->荒川区->墨田区->江戸川区->江東区とペダルを漕ぎます。
荒川右岸の河口である"新砂リバーステイション(船着場)"に着きました。
見える橋は"東京湾岸線"と"首都高速湾岸線"と"JR京葉線"が並行して荒川を跨ぐ「荒川湾岸橋」です。その先は「東京湾」です。
さて、"新砂リバーステイション"は一般の人はご存知ないかもしれませんが、通称:荒サイ=荒川下流域サイクリングロード(正式には荒川下流域緊急用河川敷道路)を走るサイクリストの中では知れ渡っている場所です。
対岸には葛西臨海公園の大きな観覧車が見えます。残念ながらコロナ禍で葛西臨海公園は休園中です。
水中に潜って餌を探している水鳥の団体です。
ちょうど昼時なので、ここで持参したオニギリを食べて帰路につきます。護岸には同様に休むサイクリストがソーシャルデイスタンスをとっています。
帰路の途中の墨田区を走っていたら、土手の草むらから急にバサバサと数羽の鳥(恐らく"ムクドリ")が一斉に飛び立つ音が耳に入り、その方向を見ると・・・
チャリを止めて、スマホを片手に土手を静かに数メートル登ると、鳩より少し大きな猛禽類が逃げ遅れた鳥を押さえつけているところでした。
捕まってしまった鳥は暫くはバタバタと羽ばたいていましたが、上になった鳥は足爪で締め上げて湾曲したクチバシで下になった鳥を啄み始めると下の鳥は静かになってしまいました。
その後、猛禽類はこちらを気にしながら捕まえた肉を食べ始めました。
猛禽類と目が会いました。これ以上近づくな!と言っているようなので土手に這いつくばってそ~っと観察していると、残りの肉を鷲掴みしたまま飛び立って行きました。
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その場で名前が判らなかったので、家に帰ってから名前を調べたところ<小型の猛禽類>で調べると"ツミ"または"チョウゲンボウ"というハヤブサ科に分類される猛禽類がヒットしました。私は目の辺り色と羽根の感じから”チョウゲンボウ”でないかと思います。間違っていたらコメント欄で御指摘をお願いします。
こんな感じの2日めの約50kmのポタリングでした。2日連続のポタリングで二の腕の裏側と臀部と太腿の筋肉がパンパンとなりました(腹回りはブヨブヨ)。
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本日も最後までお付き合いを頂きまして有難うございました。
それではまた~ネ!
ヤフオクでサイクルカバーを買いました [自転車]
裏庭に3台の自分用の自転車:Myチャリを置いています。
敷地が狭くガレージも無いので雨とホコリよけのために3台に2枚のサイクルカバーをかけて置いています。しかし2~3年すると夏場の紫外線と冬場の強い北風により生地がビリビリと破れて無残な状態になってしまいました。
もう一台のカバーも生地が弱くなり、よく見ると破れがアチコチにできています。
そこでサイクルカバーを2枚新調することにしました。もちろん買うのはいつものヤフオク!ですが、今回は色々な経験をしたので記事にします。
(1) 商品が届かず契約キャンセルとなった1回めの入札
最初の例はヤフオク!ですが定額品、つまりオークションではなく最初の入札者が落札者に決定するシステムです。加えて送料込み定額品のため直ぐに支払いまで可能です。
今回も落札決定後にYahoo!かんたん決済で支払いを済ませましたが5日経っても商品が届きません。そこで出品者に取引ナビで不達を問い合わせると「すでに〇〇パックで送付済、受付番号は**********」さらに「代替品を送るから送付先を教えて下さい」と返信がありました。このため「〇〇の追跡システムで番号追跡しても該当番号なし」「出品者であれば取引ナビで送付先は解るはず」と返信したら「出品者側から契約キャンセルします」となりました。
Yahoo!かんたん決済では契約決定後8日以内に商品が届かない場合は、申告すると審査後に支払金は返却されます。今回は取引ナビで双方のメールが確認できるので直ぐに返金されましたが、入札してから無駄な8日が経過しました。
また取引ナビでのやり取りの手間やいつ届くかとの心労分の保証はありませんでした。・・・あれから3週間が経ちましたが未だに届きません。やはり出品者の勘違いだったのでしょう。
(2) Amazonから商品が直送された2回めの入札
ヤフオクでは、個人が出品する場合と商店が出品する場合(shop)があります。2回めの入札は個人出品者でした。最初の商品説明に「勤め人のため発送が2~3日がかかります」とありましたので4日は我慢していました。1回めで商品不達を経験したので取引ナビで「運搬会社名と伝票番号」を問い合わせると「すでに発送したのでもうすぐ届くはず」だけで質問事項には回答がありませんでした。
それから2日後にAmazonから自分宛てに送信者が未記名の商品が届きました。
包装を開いて中身を確認すると確かにサイクルカバーでしたが、自分はAmazonに注文した訳でないのですが、Amazonで類似商品を検索するとヤフオクよりも多少安いものがありました。悪い方に勘ぐるとヤフオクで受注してAmazonに落札者名で発注して利鞘を稼ぐこともできるので、あまり気持ちの良い取引ではなかった2回目の入札でした。
出品者とのコミュニケーションが上手くできませんでしたが、送られた商品は悪くなさそうなのでこれで良しとしましょう。
(3) 普通の取引でゲットした3回目の入札
2回め入札で1枚を手にしたので、あと1枚を入手するため再びヤフオクで品定めして定額品を落札しました。
今回の出品者は落札すると直ぐに取引ナビで受注応答して来たうえ、入金を確認するとその日のうちに商品を発送する迅速な対応をしてくれました。先の1例目や2例目のように落札者から問い合わせしないと応じないのとは大違いです。
また発送元が同一の地域であったこともありますが、入金から2日後に商品を受け取りました。やっと気持ちの良い取引ができました。
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2枚のサイクルカバーが届いたのでMyチャリに掛けてあげました。
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これまでにヤフオクで200件以上の商品購入をしてきましたが、商品不達やAmazonからの直送は初めての経験でした。(Amazonで中華製の商品購入では行方不明を2回経験しました)
やはり、ネットからの商品購入には多少のリスクを覚悟しなければなりませんね。まっ!高額なものはネットで買わないようにしているのが歯止めでしょうかね。
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本日も最後までお付き合いを頂きまして有難うございました。
じゃあ!またね~。
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シェファード号のシフター交換しました [自転車]
年明けに1号車RITEWEYシェファード号のリアディレイラー(後輪の変速機)交換を行いましたが、その調整時にシフター動作に違和感を感じました。
---フリーイラストから借用しました。---
ここで、自転車にあまり詳しくない方にシフターについて整理したいと思います。
シフターとは、デレイラーをワイヤーを介して制御するための手元レバーです。通常は右手側シフターは後輪の歯車に、左側シフターはペダル歯車を制御しています。
そして、最近のシフターは次の3種類が一般的です。たまたま自分は3台の自転車を使い分けていますが、みな異なるシフターなので比べてみます。
最初は3号車の電動チャリ号のシフターです。電動チャリは、しばらく乗っていないのでサビサビでボロボロです。
これはママチャリ、スポーツバイク、マウンテンバイク、クロスバイクなど街中で一番多く見られるシフターでオートバイのアクセルのように手首を回転させることによりワイヤーを引っ張りディレイラーを制御する仕組みで"グリップシフトまたはレボルバー"式と呼ばれています。
次は、2号車ロードバイクのGIZARO号のシフター写真です。
写真が少し解りづらいのですがドロップハンドル(右の黒色)に付けたブラケット(真ん中の黒色)にぶら下がっているレバーがシフターです。
一見はブレーキレバーのように見えますが、ブレーキとシフターが一体になっていて指で前後にレバーを動かせるとブレーキが操作でき、前側の少し長いレバーと裏側の短いレバーを左右に動かせるとシフターとしてディレイラーを制御することができるスグレモノです。
最後は1号車クロスバイクのシェファード号のシフターです。
これはブレーキレバーと一体のシフターで、(この写真では写っていませんが)親指側のレバーと人差指側のレバーでディレイラーを操作するもので"トリガーシフトまたはラピットファイヤー"式と言われています。ちなみにブレーキレバーは薬指と小指の2本で操作します。
この他には、オールドモデルですがダウンチューブ(フレーム)にレバーを直接取り付けたもの、トップチューブに自動車のシフトレバーに似せたレバーを乗せたもの(子供向け)などが有りました。
さて、話はシェファード号に戻りますが、これまでにリアシフターは一度中古品に交換しましたが、フロントシフターは当初デフォルトのままです。
2年前に起きた転倒時の擦り傷とカバーの割れが残ってます。
一度交換しましたが年数品ため、外観は(写真でもわかりますが)今にもカバーが取れそうでだいぶ疲れています。また、リア側のレバー操作は低速側と高速側の動作幅が大きく、フロント側はレバーが固くなり指が痛い!、しっくりしないので両方とも交換することにしました。
毎度のことですが新品ではなくヤフオクでフロント3段Xリア8段(合計24段)のブレーキ一体形の中古シフターを探します。最初に狙った商品はオークション締め切り時間ラストに競り負けしたので、次の狙い商品は最後まで頑張りやっと競り勝ちました。
前置きが長くなりましたが、いよいよ交換作業です。
---フリーイラストを借用しました---
リアディレイラーワイヤーのバラケ防止用のワイヤーエンドを外してから、
リアディレイラーからワイヤーを外します。次にハンドルバーからグリップを外します。
工具は100均で買った6角レンチで取り外せます。
今までのシフターをハンドルから取り外します。ブレーキワイヤーはシフターを取り付けたまま交換ができる構造になっていますが、今回は痛みがないので既存ワイヤーを流用しました。
シフトワイヤーは新品を用意しました。
今回はワイヤー外形1.1mmで黒色コーティングされているものを用意しました。
シフター交換が終わりました。シフターとワイヤーを交換したのでディレイラー再調整が必要になります。先週に続き2週続けてディレイラー調整です。更に今回は少し調整が難しいフロントディレイラーも再調整したので総作業時間は約3時間かかりました。どうせ外出自粛期間ですから!
--- 本日のおまけ <たまには優しく吠えます>---
関東の4都県に加えて、7府県にも緊急事態宣言が発せられました。
確か!ガースー総理が4都県の発令時に「20時以降の不要不急な外出を控えるように」と発言したのに、今回は「不要不急の外出自粛、特に20時以降を徹底」となりました。
確か!ガースー総理が4都県の発令時に「20時以降の不要不急な外出を控えるように」と発言したのに、今回は「不要不急の外出自粛、特に20時以降を徹底」となりました。
つまり「昼夜時間を問わず不要不急の外出は自粛」が原則となりますが、国民の何人が正しく受け取ったでしょうか!?
ガースー総理が7府県を追加発令したTV映像を見ましたが「福岡県」を「静岡県」と読み間違いするし・・・こんな言葉遊びでは国民はたまったもんじゃないですね。
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じゃあ!またね~。
新年早々にクロスバイクの故障修理です。 [自転車]
新年明けましておめでとう御座います
良いお年をお迎えのことと存じます
旧年中は大変お世話になり誠に有難う御座いました
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます
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新年の最初の記事は、昨年末に大掃除を終えて愛車シェファード号で荒川土手の走り終わりにでかけた際に、登り坂を前にして(恐らく)シフトミスをしてしまい、リアディレイラー[後輪変速機]がぶっ飛んでしまいました。
---フリーイラストを借用しました---
同時にディレイラーハンガーを切れたので、すぐに止まって事故にはなりませんでしたが、残りの約2kmを久しぶりにトボトボと歩いて帰りました。
家に帰ってディレイラーハンガーを確認すると完全に切断しています。
もともとこのハンガーは、ディレイラーなどがトラブルが発生した時に車体と分離して車体や搭乗者を守るようになってますので、ここが切れたのは仕方がないです。実は約1年前にも経験しています。
さっそく、ネットでディレイラーハンガーを探します。ディレイラーハンガーはメーカー、車種、製造年度ごとに形状が異なるため同じ型式を探すのが大変です。ましてや10年前のシェファード号の部品を探すのは尚更です。
やっとヤフオクで見つけました。こんな小さなアルミ合金の部品ですが製造量が少ないので意外と高いのです。すぐにポチって落札しました。
年末年始期間でしたが1月1日には商品が届きましたので、車体にハンガーを取り付けディレイラー本体を付けようとしましたが・・・・。(外観では判らなかったのですが)ディレイラー本体が壊れていました。故障が発生したときによく確認すべきでしたと反省してももう遅いです。
1月2日にディレイラー本体を新品手配しました。ネット通販は正月でも購入できるのが嬉しいですね。今回はAmazonでなくヨドバシ.comから購入しました。2日の夜に注文して3日の朝には商品が届きました。ヨドバシ.comは安価で配達が早いので良いですね。
上段側が壊れたディレイラー(裏のプラスチックが割れてアームがひっくりかえってます)と下段が新品。
ディレイラーを取り付けて、各段のスプロケット(歯車)にシフトするようネジ調整します。試走してから各調整ネジを本締めして修理完了です。
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新年早々、つまらない故障修理記事からブログが始まってしまいました。
コロナ禍が収まったら、あちこち新しい場所に出向いてポタリング記事をアップしたいと思ってます。早く収まってほしいですね。
今年もまた昨年以上に宜しくお願いします。m(_ _)m
天気が良いので西新井大師と足立区立郷土博物館へポタリング [自転車]
昨日までの天気が回復したので1号車シェファード君でポタリングにでかけました。
今日の目的は、1年ぶりに西新井大師のお参りと足立区立郷土博物館の見学です。郷土博物館はブログ先輩の下町写真家(。・_・。)2kさんの記事を読んで面白そうだったので行って見たくなりました。
まずは、出発前のシェファード君のタイヤとブレーキの点検してから出発です。
荒川土手の河川敷を鹿浜橋(環状7号線)に向かいます。
日曜日で天気も良いので河川敷は散歩する人、ランニングする人、ロードバイクの人で賑わっています。環状7号線を亀有方向へ走り西新井大師を目指します。最初は車道の左端を走っていましたが、交通量が多い幹線道路でありスレスレに幅寄せする車や急な車線変更する車があったので、途中からは自転車走行可能の歩道を走りました。
西新井大師に着きました。1年前に訪れたときは山門と右側の草団子屋さんが工事中でしたが、今は綺麗に出来上がってました。
山門の両側には"あうん"の仁王像が収まっています。
口を開いた阿形像
口を結んだ吽形像。両方合わせて阿吽の呼吸てか?
山門の左側に"塩地蔵"があります。塩地蔵は古くからお参りするとイボが取れるとの謂れがあります。
右側には手水舎がありますが、コロナ感染防止のため使用禁止でした。
正面が本堂です。やはり例年より参拝客は少ないです。本堂の写真を撮ろうとしたときにリュックを背負った若者がチャリに乗って境内に入ってきました。境内は進入禁止のはず、注意しようとしましたが猛スピードで走り去ってしまいました。ホントに罰当たりな若者でした。
境内には、ちょうど着飾った七五三のお祝いの家族連れが2組来ていました。
本堂にお参りしてから、次の足立区立郷土博物館に向かって環状7号線を東に向かって走ります。場所がわかりづらいので、背負ったリュクの中のスマホから聞こえるGoogl-mapのガイド音声に従ってジグザグに進み到着しました。後で地図を確認すると用水路や地下鉄千代田線の車両基地を迂回するルートでした。帰りは車両基地の中間にある歩行者・自転車専用の横断トンネルを通ったので上手くショートカットできました。
受付で入館料を聞くと大人(高校生以上)は200円でした。70歳以上や障害者手帳保持者は無料、更に第2・第3土曜日は無料公開日とのこと。なぁんだ!昨日だったら無料だったか(T-T)
無料公開日は他に5/5 ,5/18(国際博物館の日), 10/1,11/3 もある。まっ! 200円じゃ良いかと大人の対応で200円を支払いました。
展示館の1階は、この地域が江戸・東京から見て「東側の近郊」という意味の「東郊」と呼ばれる近郊農村として、生鮮野菜や生花の栽培などで栄えていた歴史を展示してました。これで博物館入口に作られた農民の像があるのが繋がりました。
特に江戸東京という大消費地を背景に下肥を回収して畑の肥料としてリユースしていたことを展示していました。
肥桶で運んできた下肥を畑に作った肥桶(肥溜め)に貯蔵発酵させてから畑に撒いて野菜などの肥料としていました。私が子供の頃の昭和30~40年代は東京でもトイレは水洗でなく、ほとんどの家が汲み取り式でした。我が家も近所の農家と契約して定期的に汲み取ってもらっていました。
畑へ侵入は禁じられていましたが、当時は冬場の畑は空き地となっていたので、空き地は遊び場であると勝手な解釈をして、鬼ごっこや野球で飛び回ってました。当然のことながら誤って蓋の無い肥溜めに落ちた者が何人もいました。その時に助けたときの強烈な臭いと叱られたことが今でも記憶にあります。
その後は、あちこちで農家も畑も少なくなり東京都が吸引式の車(バキュームカー)を配置してくみ取りることになりました。畑で下肥処分することができないので、仕方なく船で東京湾の沖合に運んで捨てていたことはそんなに昔の話ではないですね。
今では、ほぼ100%が水洗トイレとなっているので、このような展示物がないと昔の生活の歴史を知ることができません。でも、今の子供は展示物を見て理解できるかな~と思います。だって、当時の肥溜めがあった場所(畑)には、綺麗なマンションが建っているからね!!
さて、話は他の展示物に戻りますが、新鮮な野菜は流通拠点である千住市場へ運ばれました。
なかでも長ネギは「千住ネギ」と言われる高級ネギとなっています。でも現在は殆どが中川を渡った千葉県松戸市あたりが主な産地のようですが!?。
その他1階には、江戸時代から続く紙漉きから発展した張り子の人体模型や学芸員が集めた張子の工芸品などの展示してありました。
これは明治時代に発明された手動洗濯器です。説明書きに洗濯機ではありませんと書いてありました。この拘りが凄い!?
続いて2階ギャラリーに上がると、近代産業に関する展示物でした。明治時代になると川と地下水、平坦な土地、船運にめぐまれた東郊は多種の工業化が始まりました。
見る角度(場所)によって煙突が1本~4本に見え「おばけ煙突」と言われた千住火力発電所です。今は現存してませんが、近くに発電所があり安定した電力が供給されると金属加工産業が進み東郊地域がは東京の工業地帯となりました。その反面、戦時中は米軍の空襲目標となりました。
一般人も木製銃剣で訓練していました。
高射砲で撃ち落とされた米軍のB29爆撃機のプロペラの一部です。その横には墜落死した米軍の兵隊の勇気を称える石碑が添えてあります。戦争相手であっても相手の人間性を尊重していた当時の村民の優しさが感じ取れました。
続いて、第2展示室に入ります。ここは戦後の人工急増に対応するため東京都が供給した住宅(都営住宅)の実物大模型が展示されていました。
-----当時の都営住宅の姿をガラス越しに撮ったので、スマホと当時の蛍光灯が写り込んでいます。(撮影技術がなくスイマセン)-----
その昔には、私の家の近所にも同じように木造平屋1軒を2戸が分割利用する「棟割長屋」方式の都営住宅が多くありました。そこには、多くの同級生が住んでいたので、よく遊びに行ってました。
当時の都営住宅の実物大模型です。玄関先の感じは当時の友人宅を思い出します。
室内に置かれた生活用品は実物のようです。
テレビ前の丸い茶ぶ台・・ドリフターズや萩本欽ちゃんのコントに良く出できましたね!
茶椀の柄も懐かしです。
お勝手(台所)もこんな感じでしたね。
トイレ(便所)は、くみ取り式で裸電球の明かり、蝿が飛ぶのでハエたたきが必須でしたね。
夏には縁側に座ってスイカを食べたり、線香花火で遊んだ記憶が蘇ってきます。
標準の間取りは4.5畳と6畳の和室に台所と物置です。このため最初の頃は風呂がなく銭湯や貰い湯でした。そのうち内湯が流行りだすと勝手口側に風呂場を増築してました。
すっかり、昭和30~40年の子供の頃に戻った気がした展示館でした。
展示館に併設して回遊式日本庭園の東渕江庭園が作られています。
カシやナラの広葉樹と滝から流れ落ちる池の庭園です。
池の反対に見える建物が展示館です。
池を一周して戻って来ました。紅葉には少し早かったようです。
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<本日のおまけ>
帰り道に区民農園で秋空に向かって咲いていた大輪の花を発見しました。
ダリアでしょうか? 白地に薄紫色の外輪花の綺麗な花でした。
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本日もダラダラと続く記事でしたが、最後までお付き合いをしていただきまして有難うございました。
では!またね。
1号車の思わぬところからの"きしみ音"を修理 [自転車]
マイバイク1号機のシェファード号が最近シュキュ!と言うような"きしみ音"がダウンチューブ付近から発するようになりました。
"きしみ音"の発生を聞き取ると、右側ペダルを時計針の1〜2時の位置から強く踏み込んだときに発生し、左側ペタルを踏んたときや逆回転時には発生しません。
実は以前にもボトルホルダー取り付け用のナット部が腐食してしまい、ボルトが緩んで"きしみ音"が発生しました。このため再びボルトに緩みがないか点検しましたが問題ありませんでした。
前回の"きしみ音"はロードバイクに乗り始めて半年くらいで何の知識もなく、とあるサイクルショプ店員のアドバイスでB・B(ボトムブラケット)とスプロケットまで交換したのに解消せず、結局はボトルホルダーの取り付けボルトが原因でした。このときの記事が知りたい方は次のリンクからどうぞ!
今回は同様原因ではないので、ダウンチューブ付近を中心にボルト類の緩みがないか点検したところ、フロントギアの外側に付けてあるプラスチック製ギアカバーの固定部が4箇所のうち2箇所でヒビ割れているの発見しました。
ギアカバーはフロントギア側からボルトネジで止めてあるので、プラスドライバーでかんたんに外れます。
外したギアカバーの取付部を見ると、やはりひび割れを起こしていました。
このため応急処置として、プラスチック用接着剤で補修しましたが、やはり力がかかるフロントギヤであり、かつ80kg近い体重の乗務員ですから、すぐに"きしみ音"が出始めました。
ママチャリであれば気にしないのですが、ロードバイクやクロスバイクでは"きしみ音"は気になります。そして、気にしだすとガシガシと力強くペダルを踏む気になりませんね。
もう、部品交換しかありません。このような部品はヤフオクには出品されないので、Amazonで調べると・・・有りました。有りました。商品価格は597円ですが1品では商品代と同じくらいの送料がかかるので、ついでにグローブも一緒に注文し2千円超として送料無料。
さすがAmazonです。注文した翌日には商品が届きました。
交換時間は5分で完了しました。
交換後の試運転で"きしみ音"が無くなり、ストレスゼロとなりました。"きしみ音"が気になり始めて約1ヶ月間も我慢してましたが、もっと早く交換すればよかったですね。
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<追記>
台風14号の接近により雨が降っているので、先日ヤフオクで手に入れたデュアルコントロールレバーを交換しました。
デュアコンとはブレーキとギアを切替えるシフターが一体になっている部品であります。これまでは後輪のギア(8速スプロケット)を切替える右側のシフターの戻りバネが破損したため、自分でスプリングを加工して誤魔化しながら使ってきました。
いつかは交換しなければと思っていましたが、10年選手のシェファード号ですので、同型部品が見つからず、いままでヤフオクで探していました。
今回、同じ車種ですが年式が異なるので少し外形が違う部品がヤフオクに出品されました。ただし、左手側のフロントギヤ用のカバーが紛失しており、右手用のリアギア用カバーは一部が欠けている中古ジャンク品です。でも両方で110円+送料520円と安価であったのでヤフオクでポチッてしまいました。
フロントギヤ(3速)用デュアコンはカバーが欠損しているので予備部品として保管しておきます。(カバーが流用できれば交換したのですが外形が異なりました)
リアギア(8速)用のデュアコンはカバーが傷や一部欠損してますが我慢できる範囲です。
リアギア用のデュアコンを交換しています。これまでもシフターワイヤーとブレーキワイヤーとも交換を経験していたので要領は解ってます。楽に交換できました。
今回はリアギア用だけを交換したのでシフター外形が左右で多少異なりますが、リアギアの変速がカチカチと決まるようになりましたので"良し"としましょう。
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こんな記事で参考になれば幸いです。
では!またね
秋の雑草を探しに荒川サイクリングロードを行く [自転車]
9月中旬となり天候もやっと秋の気配を感じるようになりましたが、今日は33℃と猛暑がぶり返しました。久しぶりにいつもの岩淵水門をスタートして荒川中流域を秋ヶ瀬取水堰まで1号車シェファード号で走ってきました。
今日の目的は河川敷に咲いている雑草探しですが、建設省荒川下流河川事務所が管轄する笹目橋付近までの土手はちょうど草刈りが行われており、花のついた雑草が見られるのは更に上流の荒川上流河川事務所管轄の秋ヶ瀬橋付近のため、そこまで走ります。
この時期に河川敷で目立つのはキクイモ(菊芋)の花です。キクイモは霜が降る時期に根を収穫して食用や漢方に使用します。私は食べたことは有りませんがサクサクとした食感だそうです。
キクイモにはイヌリンという栄養成分が豊富に含まれており、便秘、糖尿、ダイエットに悩んでいる人に効果があるらしいです。
いつもの秋ヶ瀬橋近くの秋ヶ瀬取水堰に到着しました。河川敷の稲田は既に稲刈りが終わっています。畦道を見ると白い花を発見。
これは友人の畑にもあった"ニラ"の花です。
恐らく農家の方が畦道にニラを植えたのが野生化したようです。
そのまわりには、俗に「引っ付き虫」と言われる草が生えています。子供の頃に野原で遊んでいると衣類に引っ付き虫(草の実)が沢山ついてきて、家に帰ると母さんに怒られた思い出があります。ここからは正式な名前が解らなかったので家に帰ってから植物図鑑で名前を調べました。・・もし名称に誤りがあったらご指摘をよろしくお願いいたします。
自分たちは良く穂先で遊び「猫じゃらし」といっていましたが、正式にはエノコログサ(狗尾草)と言います。
この草もセーターに着くと厄介です。これはチカラシバ(力芝)という芝草ですが、何と「万葉集」にも登場するというから驚きです。
ピンボケしましたがツユクサ(露草)がありました。
黄色い花のヤブツルアズキです。マメ科なのでアズキ(小豆)に似た実鞘ができます。
小さな薄紫色の花が咲いていますが名前が解りません(;^ω^)ということでボロがでたので帰路につきましょう。
今日は35kmほどの荒川土手の雑草探しポタリングでした。
本日もお付き合いいただきまして有難うございました。
じゃあ!またね
荒川CRを再開した秋ヶ瀬公園に向かう [自転車]
まだまだ残暑が続いていますが、本日は1号車シェファード号で荒川サイクリングロード(中流域)をポタリングしてきました。今日のミッションは、昨年の台風19号による氾濫により通行禁止であった「秋ヶ瀬公園」のその後を確認するのが目的です。
荒川土手の桜の木陰から見る空と雲は、まだまだ夏色です。
まずは、いつもの秋ヶ瀬取水堰に向かいます。
ここまでが喫水域で海から稚鮎が登ってくるのですが魚道が無いので堰を無事に登れるのは数少ないでしょうね。釣り人2人が川に向かってキャストしていましたが、ルアーを見ると稚鮎を狙って集まってくるブラックバス狙いのようです。 さて、陸上に目を向けると
お米もたわわに実り、周りの水田では早くも稲刈りが行われておりました。
この場所にある道祖伸に、熱中症にならないようお願いしてから更に上流に向かいます。
羽倉橋でUターンして、さいたま市側へ渡ると「秋ヶ瀬公園」が見渡せます。
昨年の台風で荒川が氾濫して、しばらく通行止めであった秋ヶ瀬公園が復活していました。
真っ直ぐな公園内の道路の両側には木立が繋がり、日陰は気持ちよく走れます。多くのサイクリストと走りの場所ですれ違いました。途中の花壇で一休みです。
この花は、真っ赤なケイトウ:鶏頭ですね。まっ黄色やオレンジ色のケイトウもありました。
名前を知らない花が多く咲いています。ここで、持参した紅茶をごっくんと飲んで、また走りましょう。秋ヶ瀬公園を抜けて土手の方向へ向かうと水門があります。
「さくらそう水門」です。この水門は、さいたま市を流れる鴨川を荒川本流に合流するための水門です。でも住所は朝霞市です。
すぐ隣にはJR武蔵野線の荒川鉄橋があります。もともとは貨物線であったJR武蔵野線は、今でも貨物列車を引っ張る電気機関車が通過します。ちょうど、この時も通過しましたが、スマホを向けるのが遅れ良い写真が撮れませんでした。
その武蔵野線ガード下を通過すると「彩湖道満グリーンパーク」です。私のブログにたびたび出てくる彩湖ですが、今は北側の堰堤工事が始まっており、平日は外周道路が通行禁止となっていました。
入り口にあった工事看板です。
看板によると平成2年8月25日~平成2年10月末までの平日は通行止め、平成2年11月~平成3年3月末までは全面通行止めとのこと。マラソンやロードバイクで外周道路を使う人は注意してください。
彩湖の北岸側には、先程通過した、さくらそう水門とJR武蔵野線が見えます。そして、右側には工事中のダンプカーの列が見えます。
東京側ですが、護岸工事のためか何時もより減水してました。
いつものように、湖岸の東屋で持参したおにぎりを食べて帰路につきました。ここ3週間は痔痛で長距離走行を止めていましたが、やっと収まって本日の走行距離は往復で約40kmでした。
<今日のおまけ>
ここで問題です。杉玉のように丸い珠状の姿の次の写真の植物の名前は何というのでしょうか?
<答>
ふんわりとした草姿がユニークでかわいらしい「コキア」です。コキアの花は8月頃に小さな花が咲きますが目立ちません。枝をほうきの材料として使うことができるので「 ホウキグサ」とも呼ばれています。秋には朱色に紅葉します。
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本日も駄文にお付き合いいただきまして有難うございます。
じゃあ!またね
水門巡りの荒川中域サイクリングロード [自転車]
関東地方は先週(6/11)に梅雨入り発表がありましたが、週が変わってから晴天が続いたので、荒川中流域の河川敷コースで水門巡りのポタリングをしました。
今日の相棒は1号車クロスバイクのシェファード号です。スタート地点はいつもの赤羽岩淵水門から荒川右岸を上流に向かって走り出し、さいたま市と志木市にまたがる秋ヶ瀬取水堰で折返し、秋ヶ瀬橋を左岸に渡って荒川左岸を下流に向かい足立区の鹿浜橋を回って戻ってくる40km弱のコースです。まずはスタート地点の岩淵水門です。(新荒川大橋の橋上から見た景色です)
荒川右岸の土手を上流に向かって走り、最初は荒川に並行して流れている新河岸川に流れ込む「白子川」の合流箇所を確認しました。てっきり水門があると予想しましたが外れました。
白子川は、東京都練馬区東大泉の区立大泉井頭(いがしら)公園から始まり、和光市、板橋区を回って新河岸川に合流する一級都市河川です。直接に荒川に流れ込む河川では無いのですが、新河岸川を経由して最後は荒川に合流しています。今回の水門テーマからは少し外れますが、意外と知れていない合流箇所です。
ちなみに一級河川といっても、川の長さや幅などの規模で区別するのではなく、管理箇所(国による管理が一級河川)で区別しているだけなので、場所によってはジャンプして飛び越すことができるドブ川みたいな一級河川もあります。
さて、気を取り戻して今回のテーマである最初の水門に向かいます。埼玉県朝霞市に位置する「朝霞水門」です。
朝霞水門(平成7年度完成)は、東京下町を流れる隅田川の上流にあたる新河岸川の増水時に荒川に分放水するための水門であり、昨秋の大雨時にも東京の隅田川水害を防いだ重要な施設です。
白く宇宙船をイメージする近未来的なスマートな形状が個人的に好みの水門です。そして、都内から走ってきた荒川緊急用河川敷道路(通称:荒川サイクリングロード:アラサイ)のローディーが折返しに選ぶ水門です。でも、今日の私は更に上流域の秋ヶ瀬橋を目指します。
東京で使われる水道水を取水する「秋ヶ瀬取水堰」を見ながら秋ヶ瀬橋を荒川左岸に渡り、さいたま市に入ります。さいたま市側には「秋ヶ瀬公園」の緑が広がっていますが、昨年の台風19号の浸水休園に引き続き新コロナ対策で進入道路は未だに閉鎖されたままです。
6月19日以降は一部のテニスコートが使用できるようですが、以前のようなピクニックやBBQや野鳥散策に公園に入れるのは何時になるか不明です。そんな秋ヶ瀬公園を見ながら下流に向かうと、すぐに「昭和水門」が現れます。
昭和水門は、荒川からの逆流を防止し、さいたま市を流れる鴨川と鴻沼川の氾濫防止のために作られた水門です。昭和水門から放水路を辿ると荒川に面したところに「さくらそう水門」があります。
さくらそう水門は、荒川を跨ぐJR武蔵野線の鉄橋から見える水門で、付近がサクラソウの群生地があることから名付けられました。この水門も平成生まれなのでモダンな外観です。
この水門は荒川左岸にありますが住所はなぜか右岸の朝霞市でした。荒川流域は昔からの蛇行していた流れを改修してきたため、土地区分が必ずしも河川中央部とは限りません。
サクラソウ水門を渡り、JR武蔵野線の鉄橋を潜ると荒川彩湖公園に入ります。そして彩湖に沿って土手を走ると湖尻にあるのが「荒川第一調整池放水門」です。
彩湖側の水門と荒川側の水門が二段階となってます。荒川側の水門は落ち着いた茶色に塗られてます。
彩湖から下流の大宮バイパス笹目橋を通過すると「笹目水門」が現れます。
笹目水門は、さいたま市南区及び戸田市を流れる荒川水系の一級河川である笹目川を合流するための水門です。笹目水門から下流の水門は、水門の脇にポンプで強制排水するための排水門が組み合わさっています。つまり、本流の水門を閉めてしまうと支流の水位が上がってしまい支流周辺が浸水しまうことを防ぐために支流の水をポンプで汲み上げて本流に流す仕組みです。戸田ボートコースがすぐ近くにあります。
次は「三領水門:さんりょうすいもん」を目指します。写真手前が排水ポンプから汲み出した排水用の水門で、奥にあるのが自流水門です。
三領水門は、戸田市及び川口市を流れる荒川支流の一級河川の菖蒲川が合流するための水門です。排水ポンプ場ができる前は、大雨が降るたびに菖蒲川が毎回氾濫し戸田市は水浸しとなってました。排水場を作りましたが、残念ながら昨年の台風19号のときには、藤田ニコルさんが通った戸田中学校付近で菖蒲川が氾濫してました。
次の水門に向かって下ります。川口市のJR京浜東北線鉄橋と国道122号の新荒川大橋を過ぎたところに小さな水門がありました。
この水門は綾瀬川や芝川の水質浄化をするために、荒川の水を取水して数十キロも先の川に逆送するための取水用の水門のようです。
次は今回の水門巡りで最下流に位置する「芝川水門」です。
芝川は、主に埼玉県東部を流れる一級河川で水源を辿って行くと利根川まで繋がっています。芝川水門を渡ると川口市から足立区になります。今回はこの先の鹿浜橋で再び右岸に周り込み、スタート地点の北区岩淵水門に戻ります。
岩淵水門(通称:青水門)の上を通過して、最後はいつもの旧岩淵水門(通称:赤水門)に戻って来ました。
青水門ができてからは、赤水門は水流調節機能が無いのですが、歴史的モニュメントとして残されています。水門を渡ると川に浮かぶ小さな公園島となってます。
東京都の洪水シュミレーションでは、この付近の新河岸川が氾濫すると東京23区の1/3が水没するとともに地下鉄や地下隧道などの構造物を通じて、首都機能が壊滅することも言われています。このためには、荒川の水量を上手にコントロールすることが重要ですね。これを行っているのが国道交通省 荒川下流河川事務所であり、土手の反対側に事務所があります。
今日で3日連続で晴れましてので、ほぼ同じコースを3日連続で走り回り、腕が日焼けして痛いですが、明日からは再び梅雨空となるので体を休めます。(^-^)
<今日のおまけ>
今日のように土手道や河川敷ロードを走っていると、花や山野草や樹木により季節の変化を感じます。
春先に土手で咲き誇っていたタンポポは綿帽子となり風に種を飛ばしてます。同じような白髪の管理人の麺童君としては他人とは思えない風景です。
梅雨時ですからガクアジサイが最盛期を迎えてます。
ドクダミの花は時期が過ぎたところにです。(ピントがボケたスマホ写真です)
アカツメクサ(ムラサキツメクサ)が最盛期です。土手を守るため蒔かれた牧草でありますが、イソフラボンやエストロゲンを含んでいるので女性の更年期症状を抑える薬用ハーブとして使用されることがあるらしいです。
タチアオイが咲き出すと初夏を感じます。まだ50cm程度ですが盛夏には2~3m位になっています。下から上に次から次へと夏の間は花が咲きます。
河川敷道路脇には、桑の木が多く自生しており今は赤い実が熟し土留色となってます。おそらく桑の木は植樹したのではなく大雨の氾濫で荒川上流域から流れ着いたものでしょう。今では5~8m以上の大木となってます。
沢山なっていた桑の実は、散歩する採取人やカラスや野鳥により取り尽くされていました。
今の時期に目立つのは、野生のオニグルミの実がたわわに実ってます。
一つ手に取りましたが、食用にする種子はまだ小さいです。
オニグルミの種はカラスも美味しものと認識しており、熟した実を咥えたカラスが空中からアスファルト舗装に実を落とし、種を割ってクルミを食べているのを何回も見ました。中には自動車の通り道に種を落として割っていたテクニシャンもいました。本当にカラスは頭が良いのです。
家の前に残っていたビワの実もカラスの襲撃により、全ての実が無くなりました。カア~!
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今回も長々とお付き合い頂きまして、有り難うございました。
じゃあ!またね